今回は少し、北海道積丹半島の先にあるカムイ岩の伝説についてご紹介させていただこうかなと思います。
まず一般的な説として、源義経は平泉で自害したとされています。
ですが。。実は生き延びて北へ逃れ、津軽から蝦夷地、蝦夷地から中国大陸へと渡ったという伝説が残されているのです。ご存じの方も結構いそうですが、、、
タイトルにあります通り、神威岩にまつわる言い伝えも、この義経伝説にまつわるものです。
蝦夷に渡った義経一行は、平取のアイヌの長のもとで一時滞在させてもらうことに。
しばらくの間滞在していると、その長の娘であるチャレンカと義経は恋に落ち、将来を誓い合うのでした。
ですが義経は元々、蝦夷に留まる意思はなく、中国大陸へ亡命しようとしていました。
そうなると、チャレンカは義経にとって邪魔者となります。
そこで義経はチャレンカに黙って平取を去り、積丹半島へと移動してしまうのです。
チャレンカは義経がいないことに気付くと、その後を追って積丹半島へ向かいました。
そしてようやく神威岬にまでたどり着いたチャレンカ、
しかし、義経一行は既にそこから船に乗って中国大陸へと旅立った後でした。
それを聞いたチャレンカはその場で泣き崩れ、そのまま神威岬から身を投げたのです。
すると、その遺体はたちまち岩と化し、それが神威岩が出来た由来であるとされています。
この出来事から間もなくして、この岬を女性の乗った船が通過すると、海が荒れ、船を転覆させるという事件が続き、
女人禁制の地と書かれた門が建てられたという伝説も広まりました。
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